「才能VS運」 成功するには才能はいらなかった⁉ 2022年イグノーベル経済学賞
こんにちは。おたけびです。
前回に引き続き、今回も”才能”についての記事を書いていきたいと思います。
突然ですが皆さんは、この研究をご存じですか。
和訳タイトルは
「才能VS運:成功そして失敗においてランダムさがどのような役割を果たすのか?」
です。これは2022年のイグノーベル経済学賞を受賞した研究です。(出典:
https://improbable.com/ig/winners/#ig2022)
イグノーベル賞を知らない人のために簡単に説明すると、ノーベル賞の接頭に"ig"という否定的な意味を持つ語を組み合わせた、ノーベル賞のパロディで「人々を笑わせ考えさせた研究」に対して贈られる賞です。
私、昨日の記事を書いてから、改めて成功や才能というものについて考えてみまして、ネットサーフィンをしていたら、大変興味深い研究を見つけたのでご紹介させていただきます。
研究手法としては、人々が資産をどのように形成していくのかを、才能や運といったものをモデル化してシミュレーションしたそうです。ざっくりとそのモデルについて解説します。(ちゃんと読んでないので間違ってたらすみません)
まず、20歳の1000人に平等に資産を分配します。
次に、才能値なる値を、IQの分布のように1000人に対して割り当てます。
(平均0.6で0.3~0.9の値をとる才能値に1000人がガウス分布で分散しています)
そして、その人たちをあるシミュレーション空間に閉じ込めます。
そして幸運、不運のイベントが起きる二種類の点をその空間にばら撒いて、人と人の最短距離を半年で動くようにランダムに動かします。
そして二種類の点のいずれかと人が接触すると、
①幸運:才能値がイベントごとの0~1の乱数に対して大きい時に資産が2倍になる
②不運:才能値に関わらず、資産が半分になる
というイベントが発生します。
そして40年経過したときに、資産が才能値に対してどのように分布しているのか、というシミュレーションを何度も繰り返したそうです。
すると大変興味深いことに、最も資産が大きくなった人の才能値の平均は
およそ0.66(平均が0.6ですから、それよりもちょっと上)
となったのです!!
これってつまり、最も成功している人は、才能は並みよりちょっとある、程度なことが多い、ということなんですよ。
最も成功した人よりも才能があったけど、幸運に巡り合わなかったり、不運に見舞われた人も沢山いる、ということなんです……
皆さんはこれを聞いてどう思いましたか???
成功者にとっては、あまり聞き心地の良いものではないかもしれません。
才能溢れる人にとっては、不条理に感じることでしょう。
ですが私は結構、救われました。だって、
私が今成功していないのは、才能がないからではなく、運がないから!
って言えるじゃないですか!!!
(何故か自分に並み程度の才能があることは確信してしまっていることには触れないでください……)
それにしても数って偉大ですね。
まあ確率事象で一度でも成功したかったら、試行回数と一回あたりの確立をあげていけばよいので、
大量の作品作りとクオリティの高い作品
を意識していけたらなと思います!(それが実現できたら苦労しない(笑))
参考文献
2022年のイグノーベル賞の「才能と運」の注意点 | Econome
イグノーベル賞2022経済学賞の論文「Talent vs Luck: the role of randomness in success and failure」を読む
絵とか文章の上手い人は”最初から”上手いのか?
こんにちは。おたけびです。
タイトルから察せられる通り、今回は少しセンシティブな話題を取り扱っていこうと思います。
この記事を読んでおられる察しの良い方は、ピンときたかもしれません。おたけび、とうとう二次創作の創作側に手を出してしまいました。そして案の定、見る専時代には知らなかった、産みの苦しみとやらをどうやら知ってしまったらしいのです。(言うてそんなに書いておらんのやろ、というセルフ突っ込みはおいておきます。)
自分で言うのもなんですが、私は今までなんでもそつなくこなしてきました。
学校の美術の模写で賞に選ばれないことはなかったですし(井の中の蛙)、音楽の先生にも初めて触った琴で、経験者かと聞かれたこともあります。ピアノを習っていましたが、弾けるといっても差し支えない程度にはうまいと思います。体力テストは小学生のときからA評価以外をとったことがありませんし、勉強は大学受験レベルでは何の苦労もしなかったです。まあ、所詮はその程度なんですけど……
それ以降の経歴は身バレが怖いのでぼかしますが、
そんな私ですから、思いあがっていたのでしょう。時間がなくてずっと見る専だったけど、その気になれば私もかける、と。
しかしですね、よく考えてみれば分かることなんですよ、果たして過去云十年を振り返って本当にその気になったこと(創作をやろうと思ったこと)が無いのかと。
あるんですよ。その気になったけど、かけなかったのです。
例えば小学生の時、本の虫で図書館の本を読みつくした私は面白いものが読みたくて、自作ファンタジー小説をノートに書いていたことがあったのですが、自分の下手さに耐えられなくて、筆を折ったという経験があります…… 今思えば、あれから続けて書いていたのならば、どんなにうまくなったのかと残念でなりません。(この期に及んで欲深い私(笑))
中学2年のとき、図書館の本をあらかた読みつくした私は、図書館の謎スペースに佇むラノベにうっかり手をだしてしまい、人生が狂いました(笑)。
ラノベにどっぷりつかった私は、それが原作になっているアニメにも手を出し、「推しが動いている!!」と衝撃を受け、どっぷり深夜アニメ大好き人間となったのは懐かしい思い出です。中学入学までは、深夜アニメとか無理!って人間だったのに、たった2年もしないうちに大好きになりましたよ。人生何があるかわかりませんね。
そして、アニメや漫画作品にはまったオタクがすることなんて、一つしかないでしょう。そうです、推しを描くのです。でね、模写が得意だった私は、キャラ絵の模写をしまくるのですけど、クラスに必ずいるキャラ絵描くのがうまい子が、何も見ないでキャラ絵を描いているのを見てしまって。見ながらしか描けない自分って”才能”ないな、と思って絵を描くのをすっぱりやめてしまったのです。
しかし、今なら分かります。見ないで描くということは訓練でできるようになることですし、見ないで描くということそのものが絵の上達法でもあるのです。当時の私は、”最初から”模写が上手かったですから、絵というのは才能で描くものであって、上手な人は”最初から”うまい、つまり上達方法というものにまで考えが回らなかったのです。
できる奴は”最初から”できる。
することなすこと、人並みにできてしまった私は、その誤った固定概念を成功体験を積むほどに、どんどん肥大化させていきました。
(今では、この考え方は自己成長という観念では良くない考え方であると感じ、考えを改めています。)
しかしですね、私は本当に”最初から”模写が上手かったのでしょうか。そもそも、最初って何ですかね。小学生の写生コンクールで評価される絵を始めて描いた時ですかね……
違いますよね。
私は小学校入学以前から、実は既にアニメが大好きでした。アンパンマンから始まり、たまごっち、ポケアニとともに幼少期を過ごしました。アニメにはまった小さなオタクは、人物ではないキャラクターの絵を狂ったように描きまくっておりました(伝聞)。
つまり、私の絵描き歴は小学校で写生の授業からではなく、たまごっちの模写から始まっていたのです。そして当然のことながら、3歳児の絵なんてとても上手いとは言えません。(年にしては上手いというのはあると思いますが、それだって一部の天才を除けば、どれだけ早く絵に興味をもったかという話ですよね。)
それに、ですよ。そもそも、できる、という評価も非常に曖昧ですよね。
確かに私は、写生コンクールで賞を逃したことがなかったですが、それってよく考えたら大した腕ではないでしょう。それで食べていけるとか、そういうものでは到底ありません。研鑽を積み重ねていったものだけが、その域に到達できるのです。
自分より絵とかピアノがあまり上手くないなと思っていた人が、続けることでいまでは自分の手の届かない領域に到達しているのをみると、継続の偉大さを思い知らされます。
(当時の自分は性格が大変終わっていたので、その腕でプロを目指すとか正気か?まあ、勉強はできないし仕方ないよね、と心の中で馬鹿にしていました。過去の自分をタコ殴りにしてやりたい。)
彼らがその後、その道で食べていけたという話は残念ながら聞きません。しかしですね、その道をはなからあきらめてしまった私には、その道で食べていける可能性がもう1mmも残されていないのです。
私はかねてから、自分の好きなことよりも評価されること、得意なことで生きていけば良い、と考えておりました。しかし、私はその得意であると思われた分野で挫折をしました。そして、それはある意味必然でした。
私は勉強ができる、と思って今まで生きてきました。勉強が好きだとは思ったことはありませんが、家で遊ぶために勉強する時間を悉く短くしたいと思って勉強をしていると、時間制限のあるテストと大変相性が良かったのでしょう。家で音楽やアニメ、ゲームをして過ごしているのに、とても成績がよかったです。周りからはガリ勉だと思われていました(笑)。
しかし、勉強が得意だと思っていた人間が大学受験を経ると、当然のことながら周りに勉強ができる奴しかいなくなります。
そこで私は、勉強があまり好きではなかったので、周りの奴の方ができるし、”あれ、私が勉強しなくても良くね?”という境地に至ります。(もうちょっと早くこの境地に至っていたかった泣)
まあ、どんな分野であれ、継続すると周りには才気溢れる上手いやつしかいなくなります。
そしてそんなことは、ピアノや別の習い事でも良くわかっていたことでした。
私はピアノは小学生のときに、別の習い事は中学の時に見切りをつけ、勉強の道に進んできたのです。
だから、本当に好きなこと(それか何らかの使命を帯びていると錯覚しているか笑)でないと、継続というのは、ある日突然、自分よりできる才能に囲まれながら研鑽を積まなければならない苦行と化すのです。
それまでは何となく、周りよりできるからという理由でやっていた勉強も、今ではすっかりやる気がなくなって、空いた時間に二次創作でも、と手を出し案の定下手くそな作品を量産してしまっている自分が嫌になります。
勉強もしなければならない(なまじレベルの高い場所に身を置いてしまったせいで、かなり高度なことをしなければなりません泣)、でも絵も文章もうまくなってチヤホヤされたい!(強欲の塊)
そう、私はチヤホヤされるのが大好きなのです!!!
どこまでも自分というものがなくて、人の評価に左右されるのが本当に嫌です。
そもそも、上手さって必要なんですかね。別に趣味なんだし二次創作自体は上手くなる必要なんてないんですよ。でも、こんな推しは自分が納得できない……し、評価されない自分も納得できません(笑) めんどくせーな俺。
量もこなしていないし、何の努力もしてないので当然なんですけどね。
なまじ今までろくに努力もせず成果が出ていたので、ストレス耐性が低すぎます。
努力とかしないのに負けず嫌いすぎる自分が恨めしい。
まずは100作品書いてから。
ブログもまずは100記事を書いてからですね…… 進捗は 3/100!!!
この難儀な承認欲求も使いようによっては、自分だけの武器になると信じて……
継続は力なり
尊敬する人物の座右の銘です……
同人誌の手放し方~売るならどこ?売り時などを徹底解説~
こんにちは。おたけびです。
今回はやむを得ない事情で手元に置いておくことができなくなった同人誌をどのように手放せばよいかについて解説します。
まずはじめに申し上げたいのは、メルカリなどのフリマへの出品は絶対にやめてください。
多くの同人誌では奥付などに作者の方が注意事項としてその旨が掲載されていますし、二次創作という界隈が原作者のおめこぼしで成り立っているグレーな界隈ですので、少しの炎上でそのジャンル自体が消滅してしまいます……泣
そのうえで私は、泣く泣く同人誌を手放さざるをえないときは、中古同人誌を専門に取り扱うお店で買い取りを行ってもらっています。
(運よくリアルの知り合いに同じジャンル同じCP好きな人がいたら譲りますが、そんな奇跡は過去に一度しか起きたことがありません)
女性向け中古同人誌を専門に取り扱うお店の例
・駿河屋
・MANDARAKE
などなど
女性向けではこの辺りが良くみかけますね。
処分の方法には焼却という方法もあるのですが、まだ行ったことはありません。火の取り扱いが難しいのと、同人誌というものはそもそも数が限られているものなので、一人でも多くの同志にその作品を手に取ってもらうために数を減らしたくない、というのが大きいです。
はまったジャンルが数年前のものでPixivでサンプルしか上がっておらず、作者の方が通販もやっていらっしゃらなかったときの絶望は筆舌に尽くしがたいです……
そのようなときは池袋を練り歩くしかありません。あなたがその本を捨てずに然るべき対応をすることで救われる命があるのです(笑)
女性向け中古同人誌を手に入れる方法については以下の記事を参考にどうぞ。
ひと昔前のジャンルにはまってしまった! 女性向け中古同人誌を探すならやっぱり池袋! 乙女ロードの歩き方 同人誌編
(この記事は現在、鋭意作成中です)
現地買取の流れとしては、駿河屋の場合
①買取査定に持ち込む(所要時間 : 5分程)
②査定結果の連絡(当日~2日後)を待つ
③身分証と駿河屋のカードを持ってお店で換金(所要時間 : 5分程)
といったところでしょうか。
その日のうちに換金まで済ませたい場合は、
買取査定受付が始まった比較的早い時間帯に持ち込みをするか、
事前登録を済ませることが必要になってきますね。
最近は実店舗に行かなくても、宅急便で発送する方法もあるみたいです!
今度使ってみたら、レビュー記事を書きたいと思います。
高値で買い取りしてもらうためにするべきこと
先日部屋が手狭になってきたので、駿河屋に十数冊の同人誌を売ってきました。
金額はおよそ樋口さんに届かないほどとなかなかの高額買取をしてもらえました。次の即売会の軍資金になりますね!
どこで売るべきかは、持っている中古同人誌のジャンルによって異なります。
女性向けだったら、先ほど挙げた中古同人誌の専門取り扱い店に持ち込むとよいでしょう。
各々の中古同人誌専門店のサイトを見れば、買取強化ジャンルが確認できますので、自分の持ち物と照らし合わせながら持ち込みのお店を選定しましょう。
長年の勘ですが安定して高く売れるものは
・発行してまだ日が浅いもの
・旬ジャンルのもの
ですね。
逆に
・発行してから日が経ってしまっているもの
はなかなか難しいです。
中には、作者の方がプロに転向されていていたり、当時の発行部数が少なかったりしてプレミアがつくものもありますが…
ですから私の個人的な意見としては、不要になったタイミングでなるべく早くに手放し、次の即売会の軍資金にするのが吉だと思います。
ずっと手元に置いておきたくなるような御本も沢山ありますが、残念ながら空間的なリソースも金銭的なリソースも有限です…
同人誌って奥深いですね…
はじめまして
はじめまして。おたけびです。ブログはじめました。
このブログで書きたいこと
このブログでは、今までの腐女子としての経験をもとに、オタ活に役立ちそうな情報であったり、素敵な作品に出合ってしまった時のどうしようもない突発的な激情を発したりしていきたいと思います。
私は、いわゆる「読み専」とよばれる創作者ではない人として、これまでBLを嗜んできました。この記事の読者の中には、漫画やアニメを受け手として楽しんでいる人のことに対して、わざわざそんな名前がついているものなのかと思った方もいらっしゃることでしょう。
この言葉は、二次創作という特殊界隈にいる人でないとなかなか聞きなじみのない言葉かもしれません。
皆さまはBLといっても、主に2つのジャンルに分かれているのをご存じでしょうか?
一口にBLと言っても、漫画やアニメといった一次創作に対して、そのファンが作品に対する独自解釈で作成した同人漫画や小説によって構成される二次創作BLと、原作のないオリジナルのBL漫画や小説といった商業BLに大きく分けられます。
私はそのどちらも好きで数年から数か月スパンで行ったり来たりしています。
現在は二次創作BLを主に追っていますが、商業BLをメインで追っていた時期も勿論あります。(そもそものBLに沼ったきっかけは、二次創作でした。)
二次創作は、なにより自分以外にもこのキャラにくそでか感情を抱いている人間の存在を感じられるので良いですね。
しかし、それがなぜBLなのかといわれても言語化不能です。すみません。腐女子ってそんなもんなんじゃないでしょうかね?
しいて言えば
そこに萌えがあるから
なのかなあ